いのちのいずみ Ⅱ

南宮崎カトリック教会の主日のミサの説教を掲載します

C年年間第19主日(2016.8.7.)

C年年間第19主日 ルカによる福音書12:32〜48

私たちが「全能永遠の神」「いと高き神」としてほめたたえている神は、実際にはしもべのように、私たちひとりひとりの人生を支えてくださっているのです。



今日の福音朗読は長いですが、ポイントは四つです。順にお話ししましょう。


小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる[ルカ12:32]

 最初にイエス様が言っているのは、「神の国はすでにこの地上に存在している」ということです。それはすなわち神の御計画であり、神の望んでいらっしゃる世界のことです。神の国は広く大きいのですが、イエス様は御自分に従っている人たちを見て「小さな群れ」と感じています。ここで使われている「小さな」という単語はギリシャ語では“ミクロン”といい、非常に小さいものを表します。今でも長さの単位として使われ、「1ミクロン」が「1ミリの1000分の1」を表すことからもわかるでしょう。ここでイエス様が言っているのは、神の国は偉大であること、神の国は命そのものであると同時に宇宙のすべてであるということです。
 それに比べたら、福音を生きることによって偉大な神の国を実現しようとしている人たちは、本当に小さくて力のないグループであるということをイエス様は言おうとしています。大きな神の国と、神の国の実現のためにイエス様に従おうとしている人たちとの対比です。 イエス様がこのような話をするのは、神の国はまず、愛を実践しようとする人の心の中に生まれ、その人の愛の行いのうちに神の国が実現されるからです。


自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。[ルカ12:33]

 神の国が実現するために欠かせない条件を、イエス様はこのように述べています。私たちの生活を支える財産、仕事、家、お金などは私たちがこの世で暮らしていくために必要なものです。このようなものを手に入れることに一生懸命になるあまり、私たちはお金のことばかり考えてしまいがちです。イエス様はあなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ[ルカ12:34]と言っています。
 またイエス様は、尽きることのない富を天に積みなさい[ルカ12:33]とも言っています。この世で富を積まなくてもいいのです。この世で富を積んでも役に立たないばかりか、盗まれたり虫が食い荒らしたりする心配が出てきます。先週の福音にあったように、死後の世界に持っていくこともできません。私たちは、目の前にある日常を支えるためのお金や物を中心に考えてしまうことがありますが、人生はそのように小さなものではないのです。私たちの人生は、お金や物といった物質主義的なものを上回る存在です。私たちの命は、肉体的な死を迎えた後も続きます。私たちはもっと広い視野で世界を見て、深く物事を受けとめるべきです。この世の富だけを考えて生きていれば、物やお金をすべて手放さなければならない自らの死に際して、大きな不安が押し寄せてくるのは当然です。だから、自分が持っている物は、それを必要な人に分け与えるように、イエス様は言っているのです。まさに、先週の福音「愚かな金持ち」のたとえで、自分のために富を積んでも、神の前で豊かにならない者はこのとおりだ[ルカ12:21]と言っていたのと同じです。
 神の国の実現のための第一の条件は、ひとりひとりが福音を生きて愛の行いをすることです。自分の心の中に神の国を作ることによって、神の国に属する者となり、財産やお金に執着しないということが大切です。


腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい[ルカ12:35]

 これは、しもべとして生きる、ということを表すイメージです。これが、神の国を実現するために必要な、もう一つの条件です。
 当時の人たちは、裾が足首に届くような丈の長い服を着ていました。家の中にいる分にはいいのですが、身体を動かす労働をしたり、旅をしたりするのには不便でした。ですから、身体を動かすときには、裾をたくしあげて帯に入れていたのです。これは、しもべのように、いつでも人に奉仕をするための準備をしていなさいという意味になります。24時間いつでも、求められたら無条件で人を助け奉仕をする姿勢、そのような精神で生きなさいとイエス様は言っています。イエス様に従う人の特徴ですぐに目につくことのひとつは、他者を助けたりお世話したりしようとする愛徳の行いだといえます。
 もう一つここで言われているのはともし火をともしていなさい[ルカ12:35]というイメージです。これは、「出エジプト記」40章に出てくるものです。エジプトを脱出して荒れ野をさまよっていたイスラエルの民と一緒につねにあったのは、神の命令によって作られた臨在の幕屋というテントの礼拝所でした。そこには燭台が置かれ、昼も夜も主の御前にともし火がともされていました。「ここに神が存在し、私たちとともに生きている」ということを、みんなに意識させるためのともし火です。
 今日の福音でイエス様が言っているのは、他者に奉仕することで愛を生きようとする信者のそばには、神が存在しているということです。ともし火をともしていなさい[ルカ12:35]という言葉は、神の存在をあかししながら生きて、周りの人たちにもそのともし火が見えるようにしなさいということになります。


主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい[ルカ12:36]

 興味深いことですが、イエス様は神の国のたとえとして、今で言うところの「結婚式の披露宴」をよく使います。イメージとして、「花婿」は神様(イエス様御自身)、「花嫁」はイスラエルの民(私たち人類)になります。このような表現は、偶然ではありません。私たちは、イエス様が来るときにいつも「待っている」姿勢でなければいけないということです。そして主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ[ルカ12:37]とあります。主人が婚宴から帰って来るのを待っていたしもべたちは、主人が食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれるというのです。普通、主人がしもべに給仕をするということはないのですが、神様御自身が私たちを給仕してくださるという不思議なことが書いてあります。
 この不思議なことの例を具体的にあげるとしたら、私たちのこの日曜日のミサだといえます。私たちがミサにあずかる時、ここにはイエス様の宴が用意されています。私たちはイエス様の愛と命の宴に招かれているのです。ここで私たちの給仕をつとめてくださるのは、イエス・キリスト御自身です。私たちが「全能永遠の神」「いと高き神」としてほめたたえている神は、実際にはしもべのように、私たちひとりひとりの人生を支えてくださっているのです。そして、私たちの幸せのために、給仕として何でもしようとしてくださっているのです。
 イエス様は、あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい[マタイ20:28]と語り、イエス様御自身が仕えられるためではなく仕えるために[マタイ20:28]来たのだと話しています。私たちも、ミサすなわち神のよろこびの宴にあずかり、イエス様に給仕していただくことによって、他者のために奉仕し、神の国を実現するものとなることができますように。