いのちのいずみ Ⅱ

南宮崎カトリック教会の主日のミサの説教を掲載します

C年年間第20主日(2016.8.14.)

C年年間第20主日 ルカによる福音書12章49〜53節

聖霊を伝えようとすれば、世の中から大きな圧力や迫害を受けることが避けられないのです。

ルカによる福音書」の中には、他の福音書と比べて「平和」という言葉がたくさん出てきます。2章の「イエスの誕生」では、野宿をしている羊飼いたちの上に主の天使が現れ、また天の大軍が加わって、神を賛美して次のように言います。

「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」[ルカ2:14]

 また、福音書の終わりで復活したイエス様が弟子たちに現われる場面では、イエス様が弟子たちの真ん中に立って次のように言われます。

「あなたがたに平和があるように」[ルカ24:36]

 「平和」とは、単に戦争がない状態というだけではなく、神様の御旨がすみずみまでゆきとどき、すべての命が輝いて幸せな状態のことです。しかし今日の福音を読むと、「平和」とはまったく反対の状況が書かれているようです。今日の福音には、次のようなイエス様の激しい言葉が記されています。

 わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。[ルカ12:51]

 今日の福音の最初には、わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。[ルカ12:49]と書かれていますが、「ルカによる福音書」の中で、「火」について述べているのは三箇所です。一つは、洗礼者ヨハネが、教えを述べる場面です。

 わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼をお授けになる。[ルカ3:16]

 聖霊は神様の力であり、洗礼を受ける人たちは、神様の力を火として自分たちの心にいただくということです。また一方で、洗礼者ヨハネは、次のようにも話しています。悪いものをすべて燃やしてしまうというイメージです。

 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。[ルカ3:9]

 (その方は)手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。[ルカ3:17]

 二つめは、イエス様がサマリア人の村で歓迎されなかった場面です。その様子を見ていた弟子のヤコブとヨハネは、イエス様に対して次のように言っています。

「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」(ルカ9:54) 

 ここでも、火は全ての悪を滅ぼす神の裁きというイメージです。

 そして三つめ、今日の福音では、イエス様御自身の言葉として、以下のように記されています。

 わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。[ルカ12:49]

 この火は、「悪を滅ぼす神の裁きの火」とは全く違うのです。それはたとえば、聖霊降臨の場面に描かれている「炎」のようなものだといえるでしょう。

 一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせる
 ままに、ほかの国々の言葉で話しだした。[使徒言行録2:1~4]

 イエス様の霊、つまり、神の愛と命を受け入れる人の心には、福音の火が燃えているのです。全世界の人が、この福音の火を受け入れてほしいというイエス様の思いが、「私が来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。」[ルカ12:49]という表現にあらわれています。イエス様は、地上に聖霊をもたらすために来たのです。

 その後に、「洗礼」という言葉が出てきます。

 わたしには受けねばならない洗礼がある。[ルカ12:50

 これは、私たちが知っている洗礼式のようなものではありません。ここでの洗礼とは、水の中に入ることによって水から強い力を受けて圧迫され責められるということ、つまり、イエス様が御自分の受難と死を通してまでも、私たちに聖霊を伝えたかったということを表しています。聖霊を伝えようとすれば、世の中から大きな圧力や迫害を受けることが避けられないのです。

 イエス様は今日の福音で「分裂」[ルカ12:51]という言葉を使っていますが、これは、聖霊によってもたらされる新しい神との関係は、これまでの人間関係に影響を与えたり衝突をもたらしたりすることがあるということです。
兄弟姉妹が集まる教会は、一致がないと成り立ちません。今日の福音で言われている分裂、対立の例をみてください。

 父は子と、子は父と、
 母は娘と、娘は母と、
 しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
 対立して分かれる。
               (ルカ12:53)

 兄弟どうしではなく、「父と子」「母と娘」「しゅうとめと嫁」というように、世代間の対立として表現されています。これはつまり、古い世代は新しい世代のことが理解できないという意味です。古い世代というのは、新しい福音を受け入れることが難しい人々のことであり、世代の異なる家族の中で分裂が生まれるということになります。
このイエス様の言葉は、旧約聖書の「ミカ書」(7:6)をふまえています。

 息子は父を侮り
 娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。
 人の敵はその家の者だ。

 敵は外側にいるのではなく、自分を否定する人は、自分のもっとも親しい人だということが書かれています。古い世代に属する人とはは、イエス様がもたらす福音と新しい生き方がどうしても受け入れられない人のことであり、イエス様を受け入れた身近な人との間に分裂が起こってしまうのです。
 この世の価値観が全てだと信じ、過去を大切にして今まで通りの暮らしを続け、変化を望まないという人たちは、イエス様の聖霊がもたらす新しい価値観と生き方を全く受け入れることができません。今日の福音のページは、そのことをはっきりと伝えています。