いのちのいずみ Ⅱ

南宮崎カトリック教会の主日のミサの説教を掲載します

C年年間第33主日(2016.11.13.)

C年年間第33主日 ルカによる福音書21:5~19

神様が望んでいる世界が来る時、私たちが当たり前だと思っているこれまでの生活や生き方、常識などはすべて滅びてしまうのです。

 今日の福音は理解するのが難しく、朗読を聞いてすぐに「ああそうか、わかった」と感じることはできないのではないでしょうか。説明なしで今日の話を聞けば、恐怖を感じるだけだと思います。今日の福音を理解するためには、歴史的な背景を知ることが大切です。

 まず前提として、紀元前701年にアッシリアの絶頂期の王であったセンナケリブが、ユダの46の街を滅ぼした後に遠征し、エルサレムを包囲したという歴史的な事実があります。アッシリア軍は、翌日にはエルサレムに攻め入ろうというところまで来ていましたが、実際にはエルサレムを陥落させることなく撤退しています。撤退の理由として旧約聖書には、アッシリア軍が神の御使いによって討たれたためとあります。それは疫病の発生など、何らかの危機的な状況が発生して、撤退を余儀なくされたということでしょう。一方、センナケリブが書かせたアッシリア側の歴史を読むと、ユダ王国の王であったヒゼキアが、アッシリアの王に莫大な金銀を渡して帰らせたと書いてあります。[列王記下18~19、歴代誌下32、イザヤ36]

 実際に何が起きたのか、私たちは知ることができません。しかし、前日までエルサレムを包囲していた軍隊が翌日にはいなくなっていたというこの時から、どのような深刻な危機に直面しても神様は必ず助けてくださるというイスラエル民族の考え方が生まれました。これは、絶望的な状況でも神に信頼を置き、信仰を持ち続けるということです。

 イエス様が生きた時代のユダヤの人々はローマ帝国の圧政に苦しんでいましたが、やはり同じように、神様がいつか必ず苦しい状況から救ってくださるという信仰を持ち続けていました。その信仰の象徴として、神の家として、エルサレムには素晴らしい神殿が存在していたのです。しかしイエス様は、この素晴らしい神殿を「強盗の巣」であるとして清めました。神殿の境内で商売をしていた人々を追い出し、本来は祈りの場であるべき神殿が商売をする所になってしまっていることを指摘しました。[ルカ19:45~46]

 また、今日の福音のすぐ前のページには、やもめの献金の話が書かれています[ルカ21:1~4]。貧しいやもめが、生活費のすべてを献金として箱に入れたのを見たイエス様は、「この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた」と言っています。本来、宗教やその象徴としての神殿は、やもめのように弱い立場の人を支えるためにあるはずです。しかし、貧しい人の献金によって神殿を維持したり宗教を成り立たせたりするということになっているならば、本末転倒です。

 このように、神殿や宗教が本来あるべき姿から遠く離れてしまったことをふまえ、イエス様は今日の福音で「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」[ルカ21:6]
エルサレムの神殿崩壊の予告をしています。神様の心にかなうことが行われることのない神殿は必ず滅びる、むしろ滅んだほうがいいのだという強いメッセージです。

わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「わたしがそれだ」とか「時が近づいた」とか言うが、ついて行ってはならない。[ルカ21:8]

 歴史的な事実として、イエス様の後の時代に、ユダヤ人のメシアを自称したバル・コクバという人物が現れました。ユダヤ人のラビたちの信頼を集め、ローマ帝国に対する反乱を起こしましたが、ローマ帝国との大きな戦争となってエルサレムは陥落、バル・コクバも戦死して、その後はユダヤ人から信頼されることはありませんでした。

 イエス様は、惑わされないように気をつけなさい[ルカ21:8]と言い、メシアを自称する者が「わたしがそれだ」「時が近づいた」と言っても、救い主は神様だけであることを伝えています。神様はイスラエル民族を必ず助けてくださるという信仰は、センナケリブエルサレム包囲の時から続いていましたが、それは、ユダヤの国を今よりも大きくするとか、ローマ帝国から守るとか、一つの国家の利益を守るために助けてくださるということではないということを、イエス様は言っているのです。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。[ルカ21:10~11]

 これは大きな社会の変化を表す表現で、預言者たちが使う言葉です。神様の新しい世界が来る時に、今ある世界がそのまま続くのではなく、滅びなければならないということです。神様が望んでいる世界が来る時、私たちが当たり前だと思っているこれまでの生活や生き方、常識などはすべて滅びてしまうのです。

 これは、人々を怖がらせるための話ではありません。古い世界が滅び、神様が望んでいらっしゃる新しくて素晴らしい世界が現れる時には、はっきりとしたしるしが現れるのだという、希望を表す言葉です。ルカは、トルコ、シリア、イスラエルなどにあった、自分の教会の人々のためにこの福音を書いています。当時、迫害されていた信者たちの小さなグループを勇気づけ、逆境の中でも希望を失わないように励ますための言葉として、ルカは書いているのです。
 神様は、歴史の中で御自分の計画をどんどん進めています。このプロセスの中に私たち信者も巻き込まれて行くので、私たちにとっても苦しいことがあるのは当然なのです。

しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。[ルカ21:12~15]

 この部分は、キリスト教における最初の殉教者となった聖ステファノが逮捕され、説教をして殉教したことを思わせます[使徒6:8~7:60]。ステファノは、逮捕されて最高法院に連れて行かれた時、大祭司をはじめとする人々の前で、イスラエルの歴史について話しながら、神殿ばかりを大切にするユダヤ教を批判しました。本当の神殿は建物ではなく神様のいるところであるということ、神の子であるイエス様こそが本当の神殿であるということ、私達ひとりひとりも、イエス様と同じように生きればそこに神様が宿るのだということを、ステファノは堂々と話し、石で打たれて殉教しました。

また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。[ルカ21:18~19]

 これは、神様の確かな配慮と守りを約束する、希望の言葉です。世の中の大きな変化があっても、恐怖にかられたり落ち込んだりせず、顔を上げて神様の国が来るのを積極的な気持ちで待ちなさい、そして新しい神の国を作るために協力しなさいということです。

 今日は歴史的なことをいろいろお話ししましたが、これは単に昔あったことというだけではなく、今を生きる私たちのための話でもあります。歴史的な背景をよく理解してこの福音を読めば、これは私たちに勇気と希望をあたえてくれる内容なのです。