いのちのいずみ Ⅱ 〈月曜日の福音〉

イエス・キリストの福音を伝えます

聖マタイ福音記者(祝)(2020.9.21.)「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

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ヨナはニネベの人たちに神の言葉を告げ、ニネベの人たちを回心に導きました。しかしヨナ自身は回心できたでしょうか。

自分が正しい人間だと思い込んでいる人は、なかなか回心することができません。「ヨナ」はヘブライ語で「鳩」の意味です。自分自身を鳩のように白くて清いものだと認識している人は、回心を必要としていないのです。自分が正しい人間だと思い込んでいる人は、自分が変わる必要などないと思っています。それはつまり、神のいつくしみを必要としていないということなってしまいます。

徴税人だったマタイは、自分自身を罪人だと思っていました。だからイエス様から声をかけられた時、すぐに従うことができたのです。

放蕩息子のたとえを思い出してください。放蕩をつくして帰ってきた弟は回心しましたが、ずっと父と一緒に生活していた兄は回心することができませんでした。

本当に回心が必要なのは、自分は大丈夫、自分こそが正しいと思っている人です。神の前で正しい人はひとりもいないからです。

 

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マタイによる福音書9:9〜13
そのとき、イエス
通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。エスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。エスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」