いのちのいずみ Ⅱ 〈月曜日の福音〉

イエス・キリストの福音を伝えます

年間第29月曜日(2020.10.26)「女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した」

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 背中が深く曲った小さいおばあさんが、畑でうつむいて一生懸命に農作業をしている姿を、日本に来てから何度か見たことがあります。家族の命を支えるために、女性が自分の体や時間を犠牲にしていることを感じます。昔も今も、社会や家庭の中で負担が大きいのは女性ではないでしょうか。人類の歴史をひっぱっているのは女性と神様で、男性は隙があればお互いに争って戦争につながるようなことばかりしているのかもしれません。神様は、女性がうつむいて腰を曲げて働くばかりでなく、社会の中でもっと輝いて生きることを望んでいますが、人間の社会はまだそれを許していないようです。

   旧約聖書の「ルツ記」には、ルツという名前のモアブ人の若い女性が登場します。ルツは夫に死なれた後、生きていくために畑で深く腰をかがめて落ち穂拾いをして、姑との貧しい生活を支えました。謙虚で賢いルツは、畑の所有者であるボアズの目にとまり、愛を見つけ、結婚して自分の幸せを手に入れました。「ルツ」はヘブライ語で「友、友情」の意味ですが、外国人だったルツがイスラエル人の慣習に従って結婚し、ルツが生んだ息子はイスラエルの王ダビデの祖父となって、救い主イエスの家系につながっています。

 ルツという女性の姿は、今の時代のテレビやインターネットの広告に出てくるような女性のイメージとはだいぶ違うようです。同じような流行の服や化粧でいつも笑ってばかりの若く美しい女性は、広告のために作り上げられたイメージに過ぎず、中身がともなわない人形のような可哀想なものなのかもしれません。

 今日の福音でイエス様は、かがんだままで体を伸ばすことの全くできない女性の体をまっすぐにしました。私達も、女性に対する曲ったイメージを正すべきではないでしょうか。それは、単に男性と同じようになるべきというのではなく、ひとりひとりの女性が本来持っているまっすぐな姿勢を取り戻すことです。男性にないものをもっている女性には、男性にはできないことができます。

 イエス様は、今もすべての女性に「婦人よ、病気は治った」と告げたいと思っているでしょう。本来のまっすぐの姿勢で女性が生きる姿を見たいのです。男性も女性も同じように神の子であり、その人間性も権威も価値も同じです。

 新型コロナウイルスの流行により、自殺や離婚、DVが増えており、特に女性が困難に直面しているというニュースを聞くようになりました。男性は女性に対する愛が足りず、女性がすることを理解していないことが多いように思います。今日の福音にあるように、男性が社会のしきたりばかりを重んじているいっぽうで、女性は神様と同じように命を一番大切にしているのではないでしょうか。もしかしたら、イエス様だけが女性の尊厳を理解しているのかもしれません。

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ルカによる福音書13・10〜17


 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。エスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。ところが会堂長は、イエス安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。