いのちのいずみ Ⅱ 〈月曜日の福音〉

イエス・キリストの福音を伝えます

死者の日(2020.11.1.)「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」

 

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 社会全体が高齢化し、家族や自分のお墓について心配する人が増えているようです。葬儀やお墓について心配しなくても大丈夫です、と私はみなさんに言いたいです。神様から永遠の命をいただいていることを考えれば、死は一つの通過点に過ぎません。私達が信じているのは、死でもなく墓でもありません。カトリック信者は、ミサのたびに使徒信条で「天地の創造主、全能の父である神を信じます」ととなえています。私達は神様から愛され、イエス様の救い、恵み、復活、永遠の命をいただいているのですから、死や葬式や墓についてくよくよと考える必要はないのです。

 今日の福音には「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」というイエス様の言葉あります。イエス様は御自身の受難と死の後、墓に葬られて陰府にくだりましたが、イスタンブールのコーラ修道院聖堂内のイコン「主の復活」に描かれているように、すべての男性(アダム)とすべての女性(イブ)の手首を握って墓から引っ張り出しました。イエス様は死を滅ぼし、すべての人類を死から解放したのです。墓の中の世界はイエス様の足元に踏みつけられ、死の暗闇は福音の光で満たされています。亡くなった人はすべて神の国に導かれ、もはや死の世界は空っぽです。すべての人がイエス様に手首を掴まれて、神の国へ連れて行かれるのです。

 何を信じるかということは、何を土台にして生きていくかということではないでしょうか。私は確かなものを土台にして生きたいのです。信仰宣言では「信じる」という動詞が4回使われており、何を信じるかといえば、「天地の創造主、全能の父である神」「父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリスト」「聖霊」「聖なる普遍の教会」「罪のゆるし」「からだの復活」「永遠のいのち」です。これらはすべて、キリスト者である私達の土台となるものです。私達は死や墓を土台にして生きるのではありません。さらにいえば、お金、名誉、偽りの世界、むなしいこと、不幸、偶然、意味のないことも、生きる土台として価値あるものではありませんし、確かなものでもないのです。ですから、これらを土台にして生きることはできません。

 神様が天地を創造された後、あらためて世界全体を御覧になり、「見よ、それは極めて良かった」とおっしゃったように、私達は人間らしく良いものとして生きるよう、イエス様から招かれています。死ぬためではありません。

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ヨハネによる福音書  6:37-40

 そのとき、イエスは人々に言われた。「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」