いのちのいずみ Ⅱ 〈月曜日の福音〉

イエス・キリストの福音を伝えます

年間第27月曜日(2020.10.5)「行って、あなたも同じようにしなさい。」

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ルカによる福音書10・27〜30

 かつて私達の住む地球が宇宙の中心とされ、太陽やその他の天体は地球の周りを回っていると考えられていました。コペルニクスガリレオが地動説をとなえ、それが科学的に正しいことが証明されましたが、私達人間の自己中心的な考え方は、今も変わっていないのかもしれません。

 私達の頭の中ではつねに自分が中心で、他者を見ると自分からどれくらいの距離があるのか知らず知らずのうちに計算しているようなところがあるのではないでしょうか。「隣人」という言葉を、文字通り距離的にも心理的にも「自分に近い人」という意味でしか考えられない人が多いように思います。

 イエス様はこのような考え方をひっくり返しました。あなたを必要とする人こそが隣人であり、あなたは誰に対しても進んで近づいていきなさい、あなたがいただいている能力、体力、時間、財産などすべてのものを、それを必要としている弱い立場の人のために使いなさい、とイエス様は言っています。

 そして、複雑な現代社会に生きる私達が、まず近づかなければならないのは、自分の家族なのかもしれません。私達は、一緒に暮らしている両親や配偶者、兄弟姉妹や子どもたちにまず近づき、隣人となる必要があるのです。インターネットが普及し、いつでもどこでも仕事をするようになり、ひとりひとりが携帯電話やパソコンを持って、家族間のやりとりにもメールやSNSが使われるような今、一緒に暮らしている家族との間が最も疎遠になっているということはないでしょうか。日々の暮らしの中で、自分の家族が本当の意味での隣人になっているか、考えてみてください。私達が他者の隣人となるのは、今日のたとえ話にあるように、道端に人が倒れているというような特別な場合だけではないのです。日常の生活で、いつもあなたのすぐ近くにいて困っている人の声に耳を傾けることを意識してみましょう。困っている人、助けを求めている人は、世界中のあちこちにいるのです。

 自分が困った時、一番の隣人となって助けてくださるのは救い主であるイエス様です。私達もイエス様と同じように行動し、誰に対しても隣人となって助けたり手伝ったりすることができますように。

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  そのとき、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。31ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」